複雑で多様化する現代。店内は、アンティークな家具、庭には癒し度の高い空間(パワースポット)が広がっているお店です。冬は暖炉に癒されます

カフェブロッサム繫昌記

最近、ヒルズ付近の書店に立ち寄り、本を探していたら、サンフランシスコのフォトグラファーに「写真をとらせてもらえないか?」と
尋ねられた。手に持っているのは、M型ライカではないか!!「ノープロブレム!」と答えて、撮って貰いました。

ヨーコさんに見せたら、「これで、カッチャンの葬式写真が出来たと!」喜んだのでありました。

「紅葉する老年」と云う言葉が好き。老年期、戸惑うことばかり。孫の名前がとっさに出てこない!愛用するお店の名前も失念!探し物で、部屋に入ったら、目的を失念!と、悩ましいこの頃なのであります。一方、巷では、「人生100歳時代」と言うフレーズを耳にします。「そんな事は学校では教わりませんでした」などと、愚痴めいたことを言っても仕方がない・・・・。

後26年でそこに到達してしまう!店で立ち働いていると、「よく頑張ってますねぇ!」と、人様に褒められる事もある。こういう時は、気分爽快、元気が出るのであります。これはそんな老輩の日々を綴るものです。

  • タウンわたらせ第105号6月26日(土)掲載

     飛駒は、見回す限り山の囲まれた、程よき広さの盆地にて、周辺の他の地に生じた集 落より明るい。カフェは正にその盆地、中央に存する。広き敷地の周囲、木々育ちて 林をなし涼風は訪れる人を癒す。また、この地、すり鉢の底ゆえに、気功家はオゾン 効果「いやしろち効果」に優れていると言う。
    飛駒川は盆地の中央を南北にはしる。 黒沢、寺沢より水を集め村落の半ばで覆水となり出原に湧きだすのである。「日本百 名水」の一つとして知られる。飛駒の水はこの名水の源、甘露である。東京、埼玉、 関東各周辺よりカフェを訪れし人まずこの水を飲み、一様に「美味しい!」と驚く。
    コーヒーは味の切れがよくなる。最近では盆地の高台にモノ作りの新天地を求めて集 まりくる人が増えた。飛駒の自然が織なす「やわらかさ」ゆえかと思う。をである。
    店を開くにあたりパソコン習得に挑戦した。ここは、極東奥地に存する草深い田舎で ある。ホームページで店の魅力を掲載しなければ訪れる人はない。パソコンの入力に は貿易の仕事で長年英文タイプを使用していた事が役に立った。しかし、パソコンの 概念、Webページの作成、画像処理等を習得するのに悪戦苦闘をした。パソコンやソ フトに付属するマニアルを読んでもさっぱりわからない。読むほどに謎はふかまるば かりであった。
    日本語で記述してあるが、その意味するところが理解できない。何度 も挫折を繰り返しながらも、書店で、理解可能な解説書を求め、片っ端から読んで、 試して、この頃ではようやく「パソコン自由自在」となった。
    ザ・グレートスモー キー・マウンテン山麓に散在する、ヒルビリーなヴィレッジの雰囲気を色濃く漂わせ る、この店を慕い、ブルーグラスやカントリーミュージックを演奏する人達も集まる ようになり、春秋の演奏会は、私の楽しみの一つとなり、草庵も賑わいを得てきた。 料理は、「広き世界より、入手可能な食材の持ち味を生かせる料理を、我等独自のス タイルで確立したい!」とかなり大胆なことを考えるようになった。事さような次第 で隠遁生活、カフェレストラン経営と、二束のわらじを履き、老犬、愛妻よう子と極 東辺地の狭き世界に留まり、脳裏から次第に忘れ行く文明世界の中心「パリの街」を 恋しく思う、今日この頃となる。

  • タウンわたらせ第104号6月19日(土)掲載

     車中、香水の匂いがただよう。目を助手席に流すと、薄い布からはみ出しそうな白い 乳が目にとびこむ。下は臍あらわなる腹部が露出(目が潰れてしまいそう)。
    当店 シェフ、ジュリア女の出勤風景。いや、確かに、ナイスバディーなのだが、なにしろ 時節、早春の頃であった。「風邪を引くのでは!」とひたすら心配。(しかしアトラ クティブではある!)「キミサムクハナイノカ?」「ワタシハワカイカラダイジョウ ブヨ」「ボクハキミヲミテイルトヨケイサムクナル!」「トシヲトルトミンナソウデ スネ」。この頃、ひとしお布の表面積が小さくなったような気がする。
    先日は体の後 は網であった。私は思わず「マエトウシロヲイレカエタラワタシハウレシイ!」 「ダーメヨ、ソレハせくはらヨ」と注意をうけた。彼女は美女、ハイ・アイキューの 持ち主、料理が得意で、しかも手早い。店で購読せしファインクッキングをザット見 て、材料を自分で調達し、すばやく試食品を創る。ジュリア女と家人、私をまじえそ の料理を前に、グラスにドライなワインをそそぎ一時の品評談義に入る。
    じつは、彼 女、この頃、遭遇せし隠遁者の細君。同輩の隠者は足利在、日本生。若くして渡米、 南部のハーバードと云われるノースカロライナの名門校ディユーク大学を卒業、以来 三十年世界を舞台に「ヘッドハンティング」「投資」を主たるビジネスとして蓄財、 一人暮しの母親の介護の為、久方ぶりに故郷、日本の土を踏み、日本人の変わりよう に腰を抜かさんばかりに驚いたと言う「今様浦島太郎」のごとき人物。
    会うたびに 「古きよき日本は何処へいってしまったのか相場さん?僕は哀しい!」とワインをす すり、嘆くことしきりなのである。二百年の旧家に住み、時にニューヨーク、カル フォニアに出掛け、平生、古庵にてパソコンを駆使、インタナショナルなビジネスに はげみ、金を集める。
    葉巻、古庵、世間を斜に見る視点、極東のこの地を世界の田舎 と見立て、隠者生活に、どっぷりとつかっているのである。コイーバ、ワイン、極東 の端所の草庵と云うキーワードゆえに私と波長が合う。細君ジュリア女は異国の地に て、このカフェレストランを気に入り加勢する事になる。

  • タウンわたらせ第103号6月12日(土)掲載

     作法の基本として、隠遁生活の必須アイテムは草庵、田舎、かすみ。
    バックボーン に、隠者の屈折した思想的経緯が必要であり、それは、隠者の周辺にある種の影を漂 わせ、独特なる雰囲気を、醸し出すのである。ワインで云えば「熟成」と云う高度な 技術で、その付加価値を高める。ありていに申せば「生への情熱をうちに深く秘め、 田園生活をライフスタイルの理想とし世間を逃れ、人里はなれた田舎に草庵を設け, 精神の充足に努め、仏の道を探求しつつ、おのれの世界を構築し、花鳥風月を心の慰 めとする」と云うのが伝統的な手順である。
    私は、幸い梅田付近、飛駒と言うところ に二十余年のログハウスを所有、屋根は板葺き、それなりの趣が出てきた。「霞」は とりあえず、葉巻で代用することにした。「かたち」としてはこれでなんとか格好が つく。新規な事をするには、まず「かたち」から入るのが一番の早道である。要はそ のコンテンツであった。何か体裁のよい屈折せし思想であるが、ノー天気な私には、 人に誇れるような思想や求道精神など皆無なのである。
    しかし、このあたりのコンセ プトが厳然と構築されないと隠遁生活も格好がつかない。本物志向の私としては、こ の部分のストーリー性に執着するのである。悩んだ据え、「志なかばで経済世界の激 動の波に弾き飛ばされ、おのれの志す思想展開を断念、いさぎよく後継者に事後を託 し隠遁す(ありていに言えば単に経営能力が不足していて事業の経営に自信をなくし ただけであるが)」と云うことで何となく自分で得心した。
    一方、隠遁生活も,多少 の変化、つまりメリハリがなければ、永く続かないわけで、そこで、一度,トライし てみたかったカフェレストランの運営に着手することになった。例えば、或る人が街 を 訪れたとして、一時を、都会の喧騒より離れて、閑静な庵にて憩おうとする、そのよ うな 人が食事を兼ねて訪れたくなるような「場」 を創り出そうと考えたのである。
    久しく手を入れぬ2000坪の敷地は木々、雑草も自由 勝手に伸び、草庵も荒廃していた。そこから晴耕雨読的に手入れを開始したのであ る。今振り返ると、ビールを飲み、ほろ酔い加減で構想を練りつつ、葉巻を吸う時間 のほうが多かったような気もするが、兎も角も、季節をおうごとに体裁も徐々に整っ ていった。

  • タウンわたらせ第102号6月5日(土)掲載

     初孫が誕生、男子であるとの報を得,喜ぶと同時に、自分の心中の緊張する糸が大き な音を立てて「ブッ!」と切れた音を聞いた。個人として生命の継承という人生にお ける重大事をつつがなく全うし,天よりおせつかった役目はこれですべて成し遂げた 安堵感に満たされた。人間なら誰でも経験する境地ではないだろうか。
    今より10年前の話でありました。その頃、私は輸入住宅の会社を経営していた。
    当時は、時代がデフレに振れて激変する経済の真っ只中、社業の舵取りに四苦八苦の毎日であった。
    私は昭和18年生、世間というものに出て以来、そんなに努力せずとも夜の明けるご とに売上も仕事量も増える時代を生きてきた。
    それがイキナリ縮小の時代に突入した のであるが、頭では理解していても若いころより体で覚えたインフレ感覚はなかなか 消えるものではない。放漫経営でもあった。
    そんな時、息子がカナダでの勉学を無事 終了し入社してきた。詳細は兎も角も、孫のお守にかまかけて社業は大分おろそかに なっていた。それでなくとも、俗事が疎ましく感ずるようになり、或る日、身代を借 金諸共、息子夫婦に投げ渡して、家内、愛犬をともない、かねてより憧れの「隠遁生 活をする!」と宣言した。
    嫁は「お父さん!あたら二十歳半ばの青年にいきなりご自 分でしでかした借金と社業をまかせるとは、いくらなんでも虫が良すぎるのではあり ませんか?」「しかし、まぁ、めったにないチャンスだから、存分にやってみよう !」と息子。「兎も角も、よしなに、よしなに!」と私。
    身内、周囲の者は、誰某も何某もあれだけ頑張ってやっているではないか!と叱咤激 励するのであるが、人間50を過ぎたら生き方は気分の問題となる。個人差が出て当 然であると説得した。私は若い頃より方丈記的生活、荷風の隠遁生活に憧れていた。
    世の中をやや斜に見ながら自分の好きな世界に耽溺する生き方は魅力的である。自分 にはそのときのシュチュエーションからしてとにかく世を捨てて「隠棲生活」と云う ライフスタイルが今後の生き方としては適切であると確信していた。今をおいては チャンスはない!と、そのとき思ったのである。